自分の放った価値観に苦しめられる

「資格持ってないと就職厳しくなるぞ」

toeicがこんな点数じゃ社会人として駄目だな(笑)」

 

と散々垂れてた父親が、リタイア後の就職難にぶち当たっていて、

合格していたと思った(報告していた)資格の科目が全て不合格で、

おそらく彼は自分が今まで子供に伝えてきた価値観に苦しめられるターンになってしまったのだと思う。

実家には色々なプログラミング言語の本が積んであったり、自治体が主催している勉強会でしっかりノートとった形跡とか見ると苦しくて苦しくて。

 

 

ノートをとることが勉強だという信仰もそうだし、自分の丈に合ってないことしてるけど止められないことにもそうだし。

 

仕事なんて人間力(?)だ!

という謎おじさんたちの主張はさておき、

資格があるから就職できたり社会人できるとかではなく、

ただ簡潔に、私はこれができるので御社でこのポジションの労働力になれますよ

っていうののマッチング具合だと思うのだけど。

 

今はなんて声をかけていいかわからないや。

 

心療内科通ってるとかは言わなかったけど、

身体壊して有給もう無いんだ〜って話したら、とても嬉しそうに

「じゃあ実家に帰ってまた(浪人の頃みたいに)引きこもるか?w」

って嬉々として聞いてくるので、彼はもう年金貰って不自由なく暮らしてはいるが、

自分が養っているということに何か達成感を覚えていたのかもしれない。

 

期待はしていなかったけど、まあ戦後の詰め込み教育から形成された安い価値観だし

資格落ちまくってて自信無い頃だろうしそういうこと言っちゃうのもしょうがないよね

って思いつつ、家を出て尚、人生観みたいなのが磨かれてない親の発言に少し落胆していた。

以前よりは期待しなくなったので落胆も少なくなったけど。

 

祖母もだんだん母性の押し付けみたいなのが孫の私にまで波及していて、

帰省すると精一杯のおもてなしを食らうのだけれど、食材がなんかあやしくて

急性胃腸炎になるのでもう帰省していない。

一人称も「ばあちゃん」から「かあちゃん」になってるし、

母親時代の思い出を繰り返す機械になってしまったみたいだ。

 

凝り固まった考え方になりたくないなあと思いつつ、

これを読んでいる人ならばわかるかもしれないが、もうすでに凝り固まっている。

 

地獄だ

ほんとうのわたし

安部公房が好きなんです」

「彼の話を読んでいると、こう、生きることに意味などないと実感させられるね」

「そう思うと生きるのがとても楽になりますね」

「その歳でそれを言うのは早いよ」

 

電車でTさんと交わした会話、今でも覚えてる。

 

生きる意味を探し続けて疲弊してしまう現代社会には

「生きることに意味なんか無い」

という価値観は大事な気がする。

 

誰も彼もが目立った生き方しようとなんてせずに、

今日も紅茶が美味しいなあ

くらいの生き方で良いのでは。と。

 

最近だと仕事する意味なんかも考え始めちゃって

自分が今してる仕事が辛いのは自分が本当にやりたいこととマッチしていないからだ、

趣味や生き方とマッチした仕事を「ライフワーク」なんて読んで、

ライフワークならば疲れないはず!みたいな価値観もあって

聞くたびに窮屈に思っている次第です。

 

我々はただの時間を売っている労働者なので、仕事のマッチ具合とか考えずに

時間あたりに金になることを淡々と実行すれば良いと思うんだよね。

 

日本人に必要な価値観は、

「生きることに意味なんてないので楽しく生きましょう」

「仕事とは”時間”という労働力を切り売りしているだけで、仕事と宇宙の法則は関係ありません」

の2つに尽きると思う。

 

もう少し力抜いて生きようよ。

エンドレス・ポエトリー感想 ネタバレあり

エンドレス・ポエトリー」という映画を見てきた。ネタバレ注意です。

 

「生きろ」みたいなのがペーパーに書かれてたので何か今のだめだめ状態な自分の足しになればと思って見てみたが、「へぇ、そうなのか」という情報が詰め込まれすぎて頭が痛くなった。

 

結局は主人公ホドロフスキーが親からの愛情不足が原因みたいなことを最後に吐露していたので浅い映画になってしまったなあという感想。親の愛情不足によって大人になってから犯罪を犯してしまったり、抑圧されているせいで変な欲の解放の仕方しか知らないなんてことは現代だとあまりに普遍的な答えすぎて、そう思ってしまったのかもしれない。

 

あとは全体的に肌色と性行為の多い映画だったね。よく見たらR18だったし。

男性器にモザイクかけなくていいの?って思ったくらい?あと少し見え張ってるよね?平常時はもう少ししょんぼりしてるよね?っていう感想ですみません。。

 

ただ、良い点もあって

彼は詩人として人類を愛することをきちんと決めて、そういう風に生きる、そのコミュニティに入れてるのって幸福だなって思った。

家族恋人友人以外に理解のある芸術家コミュニティみたいなのがすでに出来上がってて、それはなんだか羨ましいかもしれない。

 

これはコミュニケーションにすぐ疲弊して人を嫌いになってしまう自分が経験したことの無いことなので、単純に羨ましいだけかもしれない。

自分の目指す形があって、その仲間たちがいるってだけでもこの主人公は幸せに見える。

 

ともあれ初めての価値観?みたいな部分が多いので情報処理しきれなくて疲れた。

あれ生理っつってるのにやっちゃうの?とか、経血のことを神聖だとか(日本だと穢れの象徴だったので)、小人症の人ってかわいいなあとか、体型の発達具合は健常者(?)と同じなんだなあとか。

(あんまし健常者とか言葉使いたくないんだけど要するに定型的に身体が発達した人とあんまし変わらないということ)

 

生きる意味なんて無いんだという常識の復習には良い映画でした。

夢から逃げる

睡眠後の疲労感がすごい。入眠剤を飲み忘れたら夢が酷かった。

トラウマとコンプレックス、一番言われたくない人からの提案、自分の欲を固めたような、心の現実から逃げられない椅子に縛られた状態で上映会されたような夢だった。

今まで入眠剤多用で夢から逃げてきた精算だろうか、

心療内科の先生は夢は悪いものではないと言っていたし、心理学者や占い師なんかも怖い夢は決して悪いことではないと言っているが、彼らは夢に追いかけられたことがあるのだろうか。

私からすれば戦争を体験したことのない安全な戦後世代が戦争反対を主張したり、障害を負っていない人が障害者の平等化を叫ぶような、実体験に基づかない評価で非常に苦しい。

駅のホームへ同居人を見送りに行き、部屋で私だけの状態になったわけだが、この状態を同居人はどう思っているのだろうか。下手すれば休職しかねない状態の私と過ごす意味なんて...と次から次へと不安が襲ってくる。

寝ても起きても自分が生み出した敵に襲われすぎだ。

頭のいいふりをしているだけで、実態は何もないのだ。そんな私が健全な人と過ごして良いのか。

その考えすら病気のせいなのか?

誰のせいにもしたくないのがこの病気の根幹なのかもしれない。